こんにちは、税務セレクターの原田です。
本日は税務や投資の事ではなく、夢とロマンに満ちた世紀の金貨のお話しをしたいと思います。
伝説の「1715年スペイン財宝船団」
みなさんは「1715年スペイン財宝船団」と言うキーワードを聞いた事がありますでしょうか?
「1715年スペイン船団」とは、1715年7月にキューバのハバナからスペインに向かってカリブ海を航行していた12隻の輸送艦隊の事を言います。
時は、大航海時代の18世紀スペインは南米大陸に進出し、当時栄えていた黄金国家(アステカ・インカ帝国)を次々と征服し、植民地化に成功してました。これ出来事を「スペイン継承戦争」と言います。スペイン継承戦争の結果、スペインは巨万の富を得ることになります。
そこで手に入れた大量の金銀財宝を持ち帰る船を「スペイン財宝船団」と呼んでおり、その中でも莫大な黄金を運んでいたのが、この「1715スペイン財宝船団」だったと言います。その中でも「1715スペイン財宝船団」は桁外れでした。
この輸送船が運んでいた有名な財宝は、推定2億円を超える女王の秘宝「黄金のアーク」や幻の金貨「ロイヤルコイン」1枚推定1億円以上など、考えられないほどの価値を持ったものばかりでした。
では、なぜ「1715スペイン財宝船団」の12隻はそんな桁外れの財宝を運ばなくてはならなかったのでしょうか?
その理由は、スペインの王位継承者をめぐってフランスとヨーロッパ諸国との間で起きたスペイン継承戦争は、18世紀が幕を開けた1701年に始まりました。この戦乱によって、ヨーロッパと新大陸間の海上交易ルートは危険にさらされていました。
1714年には取りあえず和平が成立し、フランス国王ルイ14世の孫にあたるフェリペ5世が、フランス王位の継承権を放棄することを条件に、スペイン王として即位する事となります。
戦いは終ったものの、スペイン王フェリペ5世は、今度は底をついた国庫を満たす必要に迫られていました。
この急な国庫を満たさなくてはならなかった原因は、パルマ女公エリザベッタ・ファルネーゼz
(パルマとは、イタリア共和国エミリア=ロマーニャ州にある都市で、パルマ公国は、イタリア北部にあった国で、1545年に創られ1860年のイタリア統一まで存続しました。パルマ・ピアチェンツァ公国、パルマ・エ・ピアチェンツァ公国とも呼ばれています。)
戦時下では財宝船を仕立てるのが難しかった為に、財宝は新大陸のスペイン植民地(現キューバ・ハバナ)にたまりにたまっていました。
そこでフェリペ5世は、財宝を植民地から本土スペインへ輸送し、国庫を満たす計画を立てる事となります。
スペイン艦船11隻と「グリフォン号」というフランス商船1隻から成る船団を組織し、アメリカ大陸で略奪した財宝をスペインへ輸送するように命じました。
船団はたちまち金の延べ棒や銀細工、金貨や銀貨、エメラルド、真珠などの宝石類、陶磁器など、あふれんばかりの珍しい品々で満杯になったと言います。
スペイン王フェリペ5世 パルマ女公エリザベッタ・ファルネーゼ
(1683年- 1746年没) (1692年- 1766年没)
300年前の悲劇の航海
「スペイン船団」の渡航計画自体は進んではいたものの、1715年7月、船団は幾度も天候不良や海賊の出没で出航を延期し、キューバのハバナに係留されたままになっていました。
スペイン王フェリペ5世とパルマ女公エリザベッタ・ファルネーゼの結婚の儀も近づき、もはや、それ以上は先延ばしにすることは許されない瀬戸際になりました。既に、ハリケーンの季節が始まっていましたが、海賊や私掠船(自国の政府から、敵国の船を攻撃して積み荷を略奪してもよいという私掠免許を得た個人の船)の襲撃に遭遇するよりは危険性が小さいと決断は下され、ついに7月24日朝、12隻の財宝船団は帆を揚げて大海原へと出航して行きました。
最初の数日間はたいした問題もなく、船長たちはフロリダ沖の波間に潜む危険な岩礁や浅瀬を巧みに避けて船を進めて行きました。ところが次第に風が強まりだし、7月29日には熟練の船乗りたちには大きな嵐が近づいていることが分かりました。
7月31日未明、ついに船団は激しい嵐に揉みくちゃにされながら、為す術もなく陸に向かって押し流されて行きました。
夜が明けるころには、船はみな粉々に砕け散ってしまい、辛うじて残ったのはフランス船のグリフォン号1隻だけとなってしまいました。
総勢2500名の乗組員のうち4割が波の下に消え、陸に打ち上げられて生き残った者たちにも、やがて危険で過酷な運命が待ち受けていたのです。多くの船乗りたちはケガや病気、あるいは野ざらしになって衰弱し、飢えと乾きで死んでいきました。
遭難の知らせがハバナにもたらされ、救助隊が送り出されたのは8月も半ばを過ぎた頃でした。それでも、船の沈没地点がそれぞれ数キロメートルも離れていたにもかかわらず、必死の引き揚げ作業によって、難破後の数カ月で積み荷のおよそ半分が回収されたのは驚異的と言えます。
12隻中11隻が沈没した海域は、みなさんも一度は聞いた事がある「バミューダトライアングルのフロリダ半島沖」でした。
バミューダ海域は、現在も空路、海路共に最も事故が多く、細心の注意が必要とされる海域の一つです。
このバミューダトライアングルには、多くの船が沈没していると言われており一説には400億円以上もの金銀財宝が沈んでいるとされているようです。
発見された幻のトライセンテニアル・ロイヤル金貨 (1715 Tricentennial Royal Gold Coin)」
その後、長い歳月が経っても、フロリダ沿岸には数々の貴重な漂流物が打ち上げられました。
やがて、海に沈んだ財宝船団の物語も人々の記憶からほとんど消えかけていた20世紀半ばのこと、建築請負業のキップ・ワグナーがビーチに打ち上げられたコインを見つけました。
興味をそそられた彼は徹底的に調査を行い、ついに難破船のうち1隻を発見、自らサルベージ会社を設立して、その船を引き揚げました。それから数十年、多くの宝探し業者が目覚ましく進歩する技術を駆使して、7隻の沈没船を探し当て、財宝を手に入れました。
アマチュアのトレジャーハンターたちも沈没船の捜索に貢献した。その中には、2010年、87歳になる女性が娘とダイビング中に、22金製の鳥の形の装飾品を発見した例もあります。。しかし、沈没した11隻のうち、マリア・ガランテ号、エル・シエルボ号、ノストラ・セニョーラ・デ・ラ・コンセプシオン号、エル・セニョール・サンミゲル号の4隻はいまだに行方不明のままです。
この「財宝発見」は、世界のトレジャーハンターにとって「夢」を与えた世紀の発見となっているようです。このスペイン財宝船団は「財宝伝説」を伝説から現実のものにした数少ない発見という訳です
これまでに「エメラルドをちりばめた十字架(約1500万円相当)」や「サファイヤが埋め込まれた黄金のリング(約500万円)」更には「幻の金貨ロイヤルコイン(1枚1億円相当)」など数々のお宝が実際発見されており、世界を驚かせています。
昨年の7月に発見されたのは40フィートの金の鎖と51枚の金貨で、全部で100万ドル相当 (1.2億円)。
中でも最も注目されたのが、スペイン国王フェリペ5世のために作られた「1715年 トライセンテニアル・ロイヤル金貨 (1715 Tricentennial Royal Gold Coin)」という世界でわずか6枚しか見つかっていなかった世界最高の希少性である金貨です。
この金貨を取り囲むように「1719年スペイン8エスクード金貨」も発見されています。
「1715年 トライセンテニアル・ロイヤル金貨 (1715 Tricentennial Royal Gold Coin)」の価値は、50万ドル以上とされています。
エスクードとは、植民地で流通していた通貨単位です。当時、エスクード=レアル(スペイン)で流通されており、レアルは一般名称で「王」を意味するものであり、英語の royal(ロイヤル)と同根でありますので、ロイヤル金貨はエスクード金貨を意味すると言われています。
トライセンテニアル・ロイヤル金貨とは、当時の技法は、金の量の調整やコインのデザインを正確に刻印することが大変難しかったのですが、その発行された金貨の中で最も正確にデザインが刻印され、技師たちから選定された「美しい」とされた数枚の金貨をスペイン王への献上を許された極上の選定された金貨の事を言います。
1715年 トライセンテニアル・ロイヤル金貨 (1715 Tricentennial Royal Gold Coin)
その価値は、50万ドル以上とされています。
スペイン 8エスクード金貨 1719年F フェリペ5世(1683-1746)
EF cleaned
直径:37.1mm 重量:27.07gm 金品位:0.917
この1715年 トライセンテニアル・ロイヤル金貨 (1715 Tricentennial Royal Gold Coin)は、スペイン政府より博物館に寄贈を呼びかけられている幻の金貨とされています。
この金貨発見の様に、世界中の遺跡や沈没船から今まで発見された事のないようなコインが今も眠っている可能性は大いにあります。
その時は、歴史が変わる瞬間でもあるのです。
1715スペイン船団の話も何も発見される前までは、「伝説」としておとぎ話のような噂でしかなかったのですが、現代の最新技術を駆使したトレジャーハンター達の努力と苦労の連続が「伝説」を「現実で有る実話」に変えたのです。
アンティークコインは、色々な「伝説」も備えているからこそ貴重な価値が生まれてくるものなのです。